カイロプラクティックの歴史

 

【台本】

今日はカイロプラクティックの歴史についてお話ししていきます。

 

できるだけ簡単に、なるほど!と思えるようにまとめていますので、カイロプラクティックを受けたことがある人も、ない人も、この動画を見ることでカイロプラクティックにより一層興味を持ってもらえること間違いなしです!

 

カイロプラクティックは今から124年前の1895年9月18日に生まれました。

アメリカ合衆国アイオワ州ダベンポートという町での出来事です。

 

当時日本は明治28年。その前年には日清戦争が始まっていた時です。

 

創始者はこの方!立派なひげを蓄えたDDパーマーです。

 

彼は幼い頃から頭がよく、飛び級さえもする秀才でした。

 

そんな彼が興味を持っていたのが人の身体と自然療法です。彼は当時、磁気治療という療法で多くの方を見ていたそうです。

 

そんなある日、ddパーマーが働くビルで用務員をしていたハービーリラードという黒人が難聴であることに気がつくんですね。

 

DDパーマーが「君はいつから耳が聞こえないんだね?」と尋ねると

 

ハービーリラードは「17年前に変な姿勢でかがんだ時、背骨からイヤな音がして以来耳が聞こえなくなりました」

 

というではないですか。

 

そこでDDパーマーは彼の背骨を良く観察することにしたのです。

 

そうすると背骨に異常を見つけました。

 

それを了承の元に素早く押し込んだのです。

 

するとどうでしょう!

 

ハービーは「先生!耳が聞こえます!!」

 

凄くない?だって背骨だよ。耳が聞こえなくなって耳鼻科に行って背骨調整された人を聞いたことありますか?

 

でもそれが124年前カイロプラクティックが生まれた瞬間なんです!当時彼は50歳でした。

 

実は背骨を調整するという技術は、古代ギリシャ時代にヒポクラテスが行っていたという文書記録があるんです。その後古代ローマ時代にも同様な記録が残っています。

 

それをDDパーマーは知っていて、「これは偶然ではなく必然だ」と本人は語っています。

 

そして彼は背骨と神経の関係性に着目し、その理論とシステムをまとめ始めるのです。

 

ちなみにこの年、現代においても医学のみならず様々な分野で使われている、非常に重要な発見がありました。

 

X線です!

 

そう、転んで脚がいたい、ぶつけて腕が痛いとか言って病院に行くとまず撮られるレントゲン写真です。

 

飛行機乗るときも荷物の検査されますよね?X線!

 

当時「よくわからない未知なモノ」ということでXが使われているんですが、ウィルヘルム・コンラート・レントゲンさんが発見したので日本ではレントゲン写真と呼ばれることが多いですね。

 

その世界最初のX線写真がこちら!

 

レントゲンの奥さんの手を写したものなのですが、ぼやけてはいるものの、指の骨と指輪が写っているのがわかりますね。

 

彼女はこの写真を見たとき、「自分の死体を見た気分だわ」と言い放ったそうです。

 

話は脱線してしまいましたがその翌年、DDパーマーの患者でもあり友人であるウィード牧師という方にこの技術の相談をしたんですね。

 

そしたらなんとウィード牧師はギリシャ語が堪能だったんです!

 

そうさっき言いましたよね。背骨の調整は古代ギリシャ時代から行われていたと。

 

そこで「手」という意味のギリシャ語の「chiro」と「技術・技」という意味の「prakticos」という二つの単語を組み合わせて

 

「カイロプラクティック」のでき上り。という訳なんです。

 

皆さん、カイロプラクティックはエジプトも温かくなるホッカイロも関係無いんです!

 

そしてその翌年、誕生からわずか2年後には学校を作り、カイロプラクティックを教えたんです。

 

たった2年で理論とシステムを考えて学校作るって、現代で考えてもとんでもないですよね!

 

それぐらいDDパーマーは頭がよかったんです。

 

その学校で学んだ1人になんと「日本人」がいるんです。

 

森久保繁太郎という日本人が1907年にアメリカ人以外で外国人として2番目に学校を卒業したんです。

 

はいこの方!横たわっているのが森久保さん、施術してるのがDDパーマーです。

 

1907年は明治40年ですからね。写真まで残ってるなんてすごい!

 

その後カイロプラクティックはアメリカ国内で非常に人気が出ます。

 

病院に行くより、カイロプラクティックを受けた方が身体が良くなる!という人が口コミでドンドン増えたんですね。今みたいにHPとかSNSとかないですから全部口コミです。

 

そうすると怒るのは患者とられた医者の方々ですよね。

 

そうです。怒って弾圧が始めるんです。「カイロプラクティックがやっていることは医師資格を持っていないやつらがやる医療行為であり不適切だ」と。

 

そして多くのカイロプラクターが捕まったんです。

 

その時、罰金を払えば投獄されることは無かったものの、ほとんどのカイロプラクターは罰金を払わず投獄されました。

 

お金がなかったら?

違う。カイロプラクターのクリニックには毎日列をなしていたほど人が来ていた。お金がないわけじゃない。

 

そう。罰金を払うということは「私は資格なしに医療行為を行いました」ということを認めることになるからだ。

 

彼らは「カイロプラクティックを施したまでで、無資格医療行為は行っていない!」ということ主張しつづけたんですね。

 

だら罰金を払わず、投獄される道を選んだんですね。

 

そしたらなんと、面会と称して多くの患者さんがカイロプラクターに会いに来て施術を受けていたり、カイロプラクターの投獄に反対する市民のデモが行われていた記録もあるからこれまたビックリです。

 

それくらい市民権を得ていたカイロプラクティックは次第にいくつかの州において法制化され始める。

「カイロプラクティックは独自性のある施術であり、医者が行う医療行為とは違う新しい分野である」と認められつつあったんですね。

 

その間、DDパーマーの息子である、BJパーマーがカイロプラクティックを発展させていきます。

 

BJパーマーは研究として、当時の最新医療設備を備えたクリニックを作り、そこで医師たちによって医学的診断を受けた患者たちを次々と施術したのです。

その時の改善率はなんと90%を超えていたと記録に残っています。

 

しかも背骨の調整と言っても、首の骨の上の部分だけの調整だけですよ。

 

そんな結果を出していると、怒るやつがいます。

 

皆さん薄々気づいていますよねー。そうです。医者の方々です。

 

全米で法制化が着々と進んでいるにもかかわらず、

今度は

「カイロプラクティックはインチキだ」

「カイロプラクティックはデタラメで危険だ」

 

と言い始めたんですね。

 

あれ?ちょっとおかしいですね。初期のころは「カイロプラクティックは医療行為だー」なんて言っていたのに、今度は「インチキだー危ないぞー」なんて言うんですからね。

 

そしたらさすがにカイロプラクターたちも怒ったわけです。

 

ウィルクという人を筆頭に有志で集まったカイロプラクターがアメリカ医師会を相手に訴訟を起こしたんです。

 

こんなに一生懸命施術して、多くの人を救ってきた結果があるのに医者たちは何を言っているんだと。もうバチバチの全面戦争です。

 

そして1987年。

連邦地裁は「アメリカ医師会や放射線医師会がカイロプラクティック業界の計画的な撲滅を図った」として有罪判決を下します。そうカイロプラクティックの全面勝訴となったわけです。

 

1987年なんでつい最近の事ですね。

 

ちなみに全米50州で法制化が済んだのは1974年です。なので法制化が進んでいたにもかかわらず弾圧され続けていたんですね。

 

このような歴史があって、現在カイロプラクティックはアメリカでは正式にドクターと呼ばれ、資格としても地位としても確立されるようになるんです。

 

そして124年の中で多くのテクニックが生まれ、現在では100以上のテクニック(技術)があるとされます。これは目的は同じだけど、そこに至るまでの過程で施術方法が違うものがあるということです。

 

なのであなたが受けているカイロプラクティックの方法と僕が提供するカイロプラクティックの方法が違うかもしれないということです。これは知っておいた方がいい知識です。

 

ちなみにその間日本ではどうだったかというと、

 

日本に一番最初に伝わったのは1916年の大正5年。ちょうど第一次世界大戦の頃です。

 

そんな103年前に日本に伝わっているんです。

 

河口三郎という方がアメリカで学んで神奈川県に帰ってきて、広めたという記録が残っています。

 

ところでなんで日本ではカイロプラクティックが法制化されていないのか?ということです。

 

実は日本もアメリカに習って医師会がカイロプラクティックを否定していたんですね。

 

そんな中、1960年昭和35年に

「医療類似行為において、人体に危害を及ぼす恐れがない場合は、禁止処罰の対象にならない」

 

という最高裁の判決が出ているんです。

 

これは、医療資格や国家資格を持っていなくても、危害を加えるモノじゃなければ自由にどうぞって国が言っちゃったんですね。

 

それによって、法制化さえれていない整体やカイロプラクティックが自由に行えるようになってしまったわけです。

 

そして決定的な出来事が起きるんです。

 

1991年平成2年の事です。

 

東京医科大の三浦幸雄氏による「三浦レポート」と呼ばれる研究が当時の厚生省によって発表されたのです。

 

このレポートの詳細に関しては、ここでは省きますが、簡単に述べると

 

「カイロプラクティックは危ないよー」という医師たちの主観を述べているようなモノで、研究と呼ぶにはあまりにお粗末なモノだったのです。

 

ですがこの発表が厚生省から出されたわけですから、国の指針に影響を及ぼすわけです。

 

諸外国ではカイロプラクティックの有効性を提唱している研究や発表は沢山ありますが、否定する発表はこれがほぼ唯一と言ってもいいほどです。

 

これが日本国内では重い足かせとなり、現在も法制化には至っていないんですね。

 

ちなみに世界的にみるとすでに44の国と地域で法制化されており、日本はカイロプラクティック後進国と言われています。

 

来年2020年には東京オリンピックがあります。

スポーツの分野でのカイロプラクティック需要は海外では年々増加傾向ですが、日本国内においては法制化されていないために、諸外国に対して自由に提供されないのでは?という噂も耳にしております。

 

東京オリンピックは色んな問題を抱えていますねー。

 

さぁ今後、日本はカイロプラクティックに対してどう向き合って、どのように対応していくのでしょうか。

 

カイロプラクティックの歴史を知るといかに先人たちが何度も弾圧に耐えつつ、背骨を調整するというアイデンティティを120年残してきたかがよくわかります。

 

今までカイロプラクティックを受けてきた人も、これから受ける人もこんな歴史を知ってから受けると、一味違った感覚になりませんか。

 

僕はそんなカイロプラクティックをより多くの人に知ってもらうためにこれからも発信し続けていきたいと思います。